鳥の最期

 はてなに興味深い質問がありました。鳥の死骸を見かけることは余り無いが、何故なのか。直ぐに猫やカラスが食べてしまうこと、鳥の体は構造的に軽量化されているので速く土に還ることがその理由だそうです。
 小さい頃読んだ本では、「きっと鳥は自分の死期が近づくと、どこか静かな場所に行ってひっそりと死ぬんだ。」と語られていたけれど、現実は余りにも明確で単純で、あっけない。まるで手品のタネを明かされたときのような淡い悲しみを覚えました。
 世の中全体は複雑で掴みがたいものだけれど、ある現象を突き詰めると、そこには恐ろしく単純で救い様の無い論理が浮かび上がります。拍子抜けするほどあっけない真実が。
 恐らく「分からない事がある」、という事実は人間にとって一種の「救い」なんでしょう。分からない事があるからこそ、世の中は面白い。ある人は様々に空想し、ある人は真実を解き明かそうと奮闘する。分からない事が無い世の中なんて、全く興味が湧きません。全知全能の神様がいたとしたら、毎日凄く退屈でしょうね。(少なくとも人間的な価値観を持っていたとするならば。)そう考えると、何か自分にはまだ「分からない事」があって、それについて興味を持って考えられるということは、「人間」としての幸せの一要素であり得るのかもしれません。