田端の駄菓子屋

 久しぶりに田端に行った。田端は祖父母の家があり、自分が幼稚園の年長から小学校2年まで3年間を過ごした場所。かつては『田端文士村』と呼ばれ、芥川竜之介室生犀星平塚らいてう等の作家が多く住んでいたが、今は閑静なベッドタウンだ。来年の入社後は、祖父母(祖父は既に他界している)の家の一階に厄介になるので、年始の挨拶を兼ねて下見に行ったのだ。自分がこの町を去ってからもう15年近くになる。家の近所の様子はすっかり様変わりしてしまっていた。駅からの坂を登りきったところにあった本屋と雑貨屋は既になく、変わりに郵便局と弁護士事務所のビルが建っていた。(ちなみに弁護士事務所の経営者は小学校の同級生の親らしい。)
 しかし、ただ一軒、昔と全く変わらない佇まいで営業している店を見つけた。駄菓子屋。なんと駄菓子屋が残っていた。この店には自分も本当に良く行っていた。2人のおじさん(もうおじいさんだろうけど)がいて、いつも近所の子供で賑わっていた。小学生の頃、駄菓子屋に行くというと親が持たせる小遣いは決まって100円だった。他の家庭でもそのぐらいで、みんな100円でどのようにお菓子を買うかあれこれ考えながら駄菓子屋に走った。
 この店には変わったシステムがあった。100円使うと10円(5円かも。)おまけしてくれるのだけれど、そのおまけ分の10円を「預金」することができたのだ。その場でおまけの10円分を使うとガムぐらいしか買えない。そこで、その時は我慢して使わずにおくと、おじさんが「口座」を開設してくれる。実際は何かの台紙の裏に名前と「預金残高」を書いてあるだけなんだけど、初めて「口座」を作って自分の名前を薄茶色の台紙に書いてもらった時は、何故か凄く嬉しかったのを憶えている。
 要するに、その様に「預金」を貯めてから引き出せば、もっと高いお菓子を無料で貰えるというわけだ。中には500円くらいまで「預金」する奴がいて、そいつは金が無いときでも駄菓子屋に行き、それを切り崩してお菓子を貰っていた。
 今考えれば、この「預金」システムは子供達に「限られたおまけ(資金)をどのように運用することで自分は便益を最大化できるのか」という視点を持たせ、お金には長期的なヴィジョンに基づいた使用方法があることを発見させるという点で、非常に教育的な意味を持っていた。
 駄菓子屋のおじさんは他の子供が現在いくら「預金残高」があるかも教えてくれるため、子供たちの間にその額を争う競争まで発生した。他の奴が「預金」を貯めて高額なものをゲットしていると、なんだか悔しいからだ。そうなると、自分だけなら本当はもう切り崩しているところを、ライバルに負けるのが嫌なので我慢し、目的もなくどんどん「預金」だけが貯まっていく、という守銭現象が起こる。非常に社会的な争いが駄菓子屋の4畳半に満たない小さな空間で繰り広げられていた訳だ。
 このシステムは恐らく現在も続いているのだろう。実は、自分の「口座」にはまだ20円ぐらいの「預金」が残っていたはずなのだ。久しぶりにあの店に行って、「15年前に預金した20円、使いたいんだけど。」と言ってみようか。もしおじさんがOKして、ガムを2個くれたりしたら、1000円払う。そして、「宝くじ当選」というイベントとして誰かの「口座」に振り込んで貰おう。今、ちょっと真剣に検討中だ。